中国 上海へ

7月上旬、飛行機で上海に降り立った。お金は新生銀行のGAICAで中国元を下ろしたが、お札だけで小銭がなかったため、空港地下鉄で切符が買えず途方に暮れてしまった。

周りを見渡すと、たまたま中国留学している日本人の大学生が近くにいて小銭を貸してくれた。

日本人の留学生(Y君)は私が泊まる安宿まで連れて行ってくれた。その後、話の流れで一緒に上海の街を歩き火鍋を食べに行くことにした。

途中荷物を置きにY君が借りているアパートに寄った。

中を見せてもらうと部屋の間仕切り壁が割れていて、床に落ちた壁のかけらを手に取ると藁が入っていた。新しい団地だが、土壁なのかと驚いた。

アパートを後にして豫園に行き、豫園裏手にある昔ながらの中国人の暮らしを見してくれると案内してくれた。

上海では高層ビルや現代的な施設ができる一方でその影になった昔ながらの街並みを壊そうとする。「危ないから日本語は喋らないで」というY君の後ろをカメラを持って歩きながら目が点になった。

家が道の左右に並ぶのだが、キッチンが家の外にあり道で洗い物をしている住民、夜にも関わらず家の前を掃除する住民、スマートホンを触る住民、ホースで体を洗っている住民が同じ道にいるのだ。カーテンがなくドアを開けているので家の中が全部丸見えで同じような光景の人たちが色々な所にいる。家族団欒、老人、娼婦らしき女性、娼婦を買う人まで同じ場所でそれぞれが生活しており、家の境界線がないのだ。それはまるで、どこまでもが家で、どこまでもが家族のように見えた。綺麗な側面も、そうでない側面も受け入れて成り立つ光景があった。家に竹の足場が張りめぐらせてあったのもあり、家々が繋がって1つの街みたいだった。

中国が壊そうとしている見せたくない光景が理想郷の一つのように感じた。

あとでY君に聞くと、中国ではお年寄りは地域のコミュニティーで暮らすそうだ。地域で活発にコミュニケーションをとって暮らすのも境界がゆるやかな社会だから成り立つのだろう。

新しい街並みは道や家の前の空間が広く余裕を持った都市計画だが、反対に家の中が狭く2段ベッドが普通で狭い部屋に6人とかで寝ているそうだ。変わる部分と変わらない部分があるのだろうか。

 

火鍋屋さんでは、豚の脳や鴨の血の塊などを鍋に入れて食べたが美味しかった。青島ビールも美味しい。定員さんも気がきく方で、テキパキと働いていた。Y君との話が面白くて夜中の2時過ぎまで話していた。

日本人の大学生Y君は、高校卒業後上海の語学学校に行き大学に入学。現在レベルアップのため他大学に入学予定だそうだ。日中合同成人式を3-400人でやったり、サッカー団体の責任者をやったり、震災を学ぶツアーを企画して中国人を日本に連れて行ったりしている。

将来日本と中国を繋ぐ人になるであろう若者の生き生きした表情、目を見て、話を聞いて、憧れと羨ましさと頼もしさを感じた。

「上海では個性的、人と違うことが人を輝かせる。」と言っていた。もともとシャイな男の子が海外に出て積極的な人になり、人や文化の優劣をつけずにそれぞれの良い所を探すようになった。

こんな人が輪に一人でもいたら全体の雰囲気が良くなるんだろうな、私もこの子の素敵な所を見習おうと思った夜だった。